史記読んでる

最近、史記読んでる。断片的にはいろいろ読んではいるが、一気読みはしたことないんで。諸子百家の他書の知識がないといろいろ難しい感じではある。

秦始皇本紀読んだけど、なぜ始皇帝は中国を統一できて、なぜ3代で滅んだのかってのを考えてみた。

始皇帝は父の代からの趙への人質から始まるわけだが、とにかく、始皇帝は天下統一に対して何もやっていない。秦の優秀な歴代の王や重臣、将軍の手によって統一の事業がなされて、たまたまタイミング良く皇帝になったに過ぎない。その後は、傲岸不遜の姿勢で皇帝を演じ、死を恐がりながら、都の外で死ぬ。

春秋戦国時代を考えると多数の民族がいて、多数の王家があって、お互い縁戚関係だったり、時の国の強弱によって離合集散しながら、同じ事の繰り返しを続ける状態だった。この状況を簡単に言うと、多くの利害関係者が細かく存在していた。法家を採用した秦が統一できたのは利害関係者を厳格な法の適用によって整理したからである。細かい地権者がいるところを手段は法家の方法論に則りながら、人を殺しまくって大地主へと集約させた。

今までだと強い国が弱い国を併呑したところで、お互い縁戚関係だったり、人質の交換し合っていたりで、城を貰ったり、譲ったりするぐらいで事を収めたり、なあなあで解決するので、時間が経つと元に戻ってしまう。しかし、秦は利害の人的整理をしたために可逆ではなくなったのである。

政が始皇帝になった頃はバランス良く整理されたわけだが、言わば、秦はリストラが国是の国でしかなかったために、更なるリストラで国が破綻した。二代目を選ぶ際に始皇帝の遺言とは違う子を次の皇帝に選び、その際に大量に人を殺して整理した。今までは整理することで秩序が構築されてきたが、必要以上の整理で逆に無秩序が生まれた。

必要以上の整理で空いたけど、残った人で背負えなくなった利権に余所者が群がって、無秩序を生んだわけである。一般に秦の崩壊の原因になった反乱の多発は厳格な法の適用に従えなくなった人々が蜂起して生じたとされているけど、空いた利権を奪っただけである。

始皇帝は周旋せずに、二代目への引き継ぎや国の基礎固めのための方針変更をすべきだったね。その能力はなかったし、諸大臣も同様になかったというよりは秦の制度からの逸脱がそのまま死に直結しているだけにできなかったとも言える。

秦は厳格な法適用という名の下の利権に対する人的整理によって天下統一を行う一方、滅亡もしたと結論づけられる。

ま、大学のレポートなり論文なりのレベルなら、最低、史記とか諸子のどっかからの引用とかしながら、論理展開しないと駄目だけど、自分は専門家でも何でもないからそういう面倒なことは別にいいやってところで。